死ぬときに後悔すること25

ほとんどの人は、死を前にすると後悔するという。

先日夕方の混雑した地下鉄の中で、目の前に掲示されていた『死ぬ時に後悔すること25』という本の広告に目がとまりました。この本は、終末期医療の専門家である著者が、1000人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介した本で、ベストセラーになっています。広告の中にはそういった本の宣伝文句とあわせて、その『死ぬとき後悔すること』の25項目が箇条書きで書かれていました。自分が下車する駅はまだ先だったので、ボーッとその25項目に目を向けて、これは達成した、これはまだ、と後悔する項目を消去法でチェックしていくと、25のうち、22項目は既に達成済みでした(もしくは私は後悔しないのであてはまらない)。既に22項目後悔なしってことは、もう、かなり死ぬ準備できてるてこと? それはそれでどうよ、と複雑な気持ちになりました。
‘例外なく、死はすべての人に訪れます。だからこそ、1人でも多くの人に後悔の少ない人生を送ってほしい’というのが著者のメッセージだそう。

死ぬときに後悔すること25
1. 健康を大切にしなかったこと
2. たばこをやめなかったこと
3. 生前の意思を示さなかったこと
4. 治療の意味を見失ってしまったこと
5. 自分のやりたいことをやらなかったこと
6. 夢をかなえられなかったこと
7. 悪事に手を染めたこと
8. 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9. 他人に優しくしなかったこと
10. 自分が一番と信じて疑わなかったこと
11. 遺産をどうするか決めなかったこと
12. 自分の葬儀を考えなかったこと
13. 故郷に帰らなかったこと
14. 美味しいものを食べておかなかったこと
15. 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16. 行きたい場所に旅行しなかったこと
17. 会いたい人に会っておかなかったこと
18. 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19. 結婚をしなかったこと
20. 子供を育てなかったこと
21. 子供を結婚させなかったこと
22. 自分の生きた証を残さなかったこと
23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24. 神仏の教えを知らなかったこと
25. 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと

昨日の日記に書いた Alexander McQueen 自殺のようなニュースを耳にする度に、居たたまれない気持ちになります。デザイナーであれ、芸術家であれ、ミュージシャンであれ、素晴らしい作品を創造する人々は、その感受性の豊かさから生まれる卓越した表現が人々の心に触れるが、その豊かすぎる感受性だからこそ、受ける悲しみも辛さも虚しさも人の何倍にもなってしまうか、もう無理なところまでいってしまうのかと。そしてそれは他人が理解することのできない、とてつもない苦しみなのだろうと。キリスト教で自害は許されないことですが、苦しくて自分で終わりを決めることが、本当にそんなにいけないことなのだろうか。死ぬ時に後悔することを既に22項目達成している自身の死生観も、それでいいのかどうかもう一度見つめ直したいと思いました。

死ぬときに後悔すること25

死ぬときに後悔すること25